2012年の11月の末から日記を書いています。とりあえずまだ一日も欠かさず書き続けています。その日の天候、出来事はもちろん、読了した本や、観た映画やテレビ番組の感想、批評。ニュースについての自分なりの見解や、役者、芸人、タレントの悪口など、なるべく自分がどういう時代に生きていたのかがわかるように工夫して書いているつもりです。
また、3年前から配達に出るようになってからは、走った道の復習も兼ねて、物流センターを出発してから、最後に回った客先までのルートを詳細に記録しています。交差点、通り、街道、渡った橋、跨線橋、陸橋の名前。そして得意先の住所。後で読んでも地図で追えるようになっています。それに道路の状況や、現場に配達に行った際の苦労などもなるべく書くようにしています。
一日はあっという間に過ぎますが、こつこつその日を記録していけば膨大なものになる。それが日記の醍醐味であり、不思議なところかもしれません。
日記といえば、文豪の永井荷風の書いた日記文学の最高峰『断腸亭日乗』があります。『断腸亭日乗』には、書かれた当時の東京の風俗、街並み、空気、荷風の世相や人の見方がわかり、谷崎潤一郎との交流など、日本文学史の歴史的資料としても貴重な記録です。また、1923年9月1日の関東大震災の起こった瞬間や、その後の余震が続く世の中の状況。1945年3月10日の東京大空襲で自宅が焼かれたときの記述などは凄惨です。加えて、関係をもった女の名前、住所、趣味嗜好なども詳細に書かれていたり、戦後の浅草通いなど、読んでいて飽きることがありません。
自分の日常は荷風のように波乱に富んでもいなければ、たくさんの女性の影もなく、エロスにまみれてもいません。しかし、荷風が『断腸亭日乗』を書き始めたのが1917年で、37歳のとき。自分が日記を書き始めたのが36歳のとき。荷風よりおよそ1歳早い。荷風は1959年4月に満79歳で亡くなりますが、とりあえずこのまま80歳まで書き続けられれば、荷風が書き続けた年数を超えることになる。それって、少しすごいと思いませんか? もっとも、一介のサラリーマンの日記など読んでも面白くはありませんが。
ちなみに、荷風は自宅で火鉢の横で血を吐いて亡くなりますが、預金通帳には2300万円をこえる大金が残っていたそうです。
自分にはいかほどの財産を残すことができるのか、今から、とても「楽しみ」です。